櫻〜紅華抄〜(後編)

 「うう・・・っく・・・・・。」
額に玉の汗が浮かび、大きくもしなやかな手が布団を握り締めた。
「く・・・っあ・・・。」
唇からは呻き声が間断なく漏れ、秀麗な眉はきつく顰められている。
「くあ・・ふ・・・・・う・・うああああっ!」
がばあ・・っ
布団を跳ね飛ばし、枕を倒して鷹宗は起き上がった。
「はあ・・はあ・・・・・ん・・・・。また・・・。」
夢か・・・。
滴り落ちる汗を手の甲で拭いながらまだ宵闇に包まれた部屋の中を見渡す。この数日、櫻の泣き顔ばかりを夢に見る。もう、二十日近くも櫻の下には通ってはいなかった。
「くそ・・・・夢で私を苦しめるか・・。」
いまいましく歯噛みしながらあぐらをかくと、がりがりと頭を掻いた。拒まれたあの日以来、櫻に対する愛情よりも畏怖の方が勝るようになってしまった。もともと愛情で櫻のもとに通っていたわけではない。あの容姿と姫君でありながら陰陽師であると言うこと、父親がかなりの資産を持っていること。物珍しさと打算の上だったのである。だから、あれほどまでに拒まれてしまえば鷹宗に通う理由はもうない。以前より文を交わしていた桔梗の君のもとへと通い、難なくいただいてきたわけだ。誤算だったのは、わりに早く世間にばれて思ったよりも早く結婚する羽目になったことだが、遅かれ早かれ桔梗の君とはそのつもりだったのだ。まあ、問題はなかろう。櫻にもばれたかもしれないが構うことはない。
「所詮夢は夢・・。」
大きな溜息をつくと鷹宗は改めて横になった。今度こそ眠ろうと目を閉じる。
最近このおかげで寝不足だからな・・。
このとき彼は知る由もない。自分がもう一つ大きな誤算をしていることを。そしてその誤算が、自らを最悪な未来へと導いてしまうと言うことを・・・。

ちゃぷ・・・
手桶に張った水に布を浸し、きっちりと絞るとやつれきった少女の額に乗せる。美萩はここ数日、ずっとつきっきりでその作業を繰り返していた。
・・・姫様・・・。
倒れてすでに7日は経とうか。一向に目覚める気配もなく、櫻は懇々と眠りつづけていた。闇にともるろうそくの明かりが美萩の秀でた顔をぼんやりと照らし出す。細面に切れ長の瞳。はっきりとした顔立ちの、どこか年より落ち着いた印象を受けるその美貌は、櫻のいかにも少女めいた愛らしさとは実に対照的なものであった。
櫻が生まれたのは美萩が3つの時のことであった。以来14年、ずっと一緒に育ってきた。いわば、乳兄弟のようなものなのである。妹として、主として、美萩はこの少女を支え、見守ってきた。もちろん、これからもずっとそのつもりである。17になって引く手数多の美萩が結婚しないのは、そう言うわけがあった。
このお方を守る・・・
はるか昔から心に誓ってきたこと。改めて美萩は櫻のやつれた顔を見つめた。恋をしたことのない少女が初めて味わった失恋。若かりし日の思い出・・と言うには余りに櫻は純にのめり込みすぎた。
「姫様・・・。」
細く、長い溜息が漏れる。全てが夢であればいい。そう思わずにはいられなかった。

欠け始めた月を朧に薄靄が隠す夜更け・・・・。
その日、鷹宗はしたたかに酔っていた。宮廷の花見は歌会に始まり、結局は酒宴で明ける。最後には酒でどんな歌を詠んだか覚えていない。確か守松の宮様に恋歌を詠んでしまったような気もするが、まあ気にすまい。酒の席だ。所露し(現代の披露宴)も近い。せいぜいお偉方にごまをすっておかねば・・。
「お館様、着きました。」
牛飼い童の声が車の外から聞こえた。もう屋敷に着いたらしい。
「ああ、ご苦労。」
声をかけてよろよろと降りると、鷹宗は部屋のほうへ向かおうと顔をあげた。
「・・・・ひっ!?」
目の前には満開の花を咲かせた桜の巨木・・・。
無論、そのように大層なものは鷹宗の屋敷にない。あるとすれば・・・。
「ま・・まさか・・・・。」
あるとすれば、宮中。さもなければ・・・・。
ざあ・・・・・・っ
「う・・っ」
一陣の風が吹いた。思わず袖で顔を隠すが、花弁は散る様子もない。顔をあげた鷹宗の視線に一人の女が映った。
「さ・・・・櫻・・・・。」
紅の薄絹を被り、緋縅の小袖に身を包み儚げに桜の根元に立ち尽くす女。紛れもなくそれは櫻の姿であった。少女はゆっくりと薄絹を足元に落とす。
「鷹宗様・・・お会いしとうございました・・・。」
静かに呟くその声は、夜のしじまに染み入るように広がる。慌てて後ろをみるが、乗って来たはずの牛車はすでにそこにはない。
「な・・・・。」
唖然としてあたりを見回すが、そこには自分と櫻、そして桜の巨木以外は存在しなかった。
そんな・・馬鹿な・・・・
ふらつく足で後ずさろうとするが、一歩もそこから動くことは叶わない。背中に冷たい汗が流れるのを感じて鷹宗は生唾を飲んだ。
「鷹宗様・・・。あなたに私の全てを捧げたかったのです・・。愛しているから・・・。」
こちらをじっと見つめる櫻の顔はやつれ果て、蒼白い顔が幽玄の美しさを醸し出していた。切なげな瞳が鷹宗の視線と交わると、あろうことか、恐怖が消えた。
「櫻・・・。」
「鷹宗様・・・。」
引き寄せられるようにふらふらと少女に向かって歩く。少女が両手を前に差し出して待ち受ける。二人は、ほどなく触れ合い、硬く抱きしめあった。
「ああ・・・鷹宗様・・・。」
櫻の唇から細く恍惚とした感嘆の溜息が漏れた。その唇を塞ぐと、仄かに甘く、儚げな香気に包まれる。鷹宗は気づかねばならなかった。こんなことはありえない。櫻が己を抱きしめ、口付け、自ら唇を開いて舌を絡ませるなど。鷹宗の舌を狂おしく吸い上げ、唾液を啜りながら鷹宗の体を弄っているなど・・・。
「櫻・・櫻・・・。」
狂おしいほどの激情と独占欲が鷹宗を支配していた。
櫻が欲しい・・・櫻を抱きしめたい・・櫻と一つに・・・。櫻と・・一つに・・・。
何時の間にか鷹宗は地面に仰向けに横たえられていた。恍惚と見上げる鷹宗をやわらかい笑みで見つめ返しながら櫻のその白い指が自らの帯にかかった。
しゅる・・・しゅっ・・・ぱさ・・・っ・・・
一枚、また一枚と仕立てのよい着物が地面へ落とされていく。呆けたようにぼんやりと見つめる鷹宗の前で、櫻は一糸纏わぬその裸体を惜しげもなく晒した。ほっそりとした首筋・・浮き出した鎖骨・・その細身な身体からは想像もつかないほど豊かな胸・・細く折れてしまいそうなほどにくびれた腰・・余り濃いとはいえない茂り・・適度に肉付きよく張り出した尻に若い色香を漂わせた太腿・・細く華奢な足・・。全てが余すところなくその視線に晒される。しかしながら恥ずかしがる様子もなく妖しげに微笑むと、櫻はゆっくりと身を屈めた。
「鷹宗様・・・。」
櫻の唇が鷹宗の顔のいたるところに触れる。そうしながらも白く細い指は鷹宗の狩衣をよどむことなく脱がせていく。やがて二人は、一糸纏わぬその裸身を闇の中に浮かび上がらせることになる。そう・・ここにはおぼろげな月明かりしかない。なのに何故こうもはっきりと見えるのか。・・もはやその答えなど脳裏にはなかった。ただあるのは、どこから湧き上がったとも知れぬ愛情。
櫻・・櫻・・・櫻・・
偽りなのかそれとも隠された本心か。愛しさに突き動かされるままに鷹宗は櫻の華奢な体をその腕に掻き抱いた。細い首筋に口付け、花弁が如き痕を散らしていく。柔らかな胸を手加減も忘れたように揉み解し、突端を紅く色づいてこりこりと立ち上がるほどまでに吸い上げる。柔らかく滑らかな白い肌をなで上げ、舌を這わせるほどに甘く清冽な香りがその鼻腔を満たしていく。まるでその香りに酔わされたかが如く夢中で白い肌を貪っていた。地面に敷き詰められた濃紫の狩衣の上を櫻の裸身が仄かに色づきながらゆらゆらと誘い、揺れるように踊る。そのうち股から隠された割れ目に指を潜らせると未通の地の筈がぐっしょりと湿っていた。
「櫻・・・。」
何を思ったか、櫻が鷹宗を横たわらせる。何の抵抗もなく仰向けになる鷹宗のすでに硬くそそり立った自身に白くひんやりとした指を絡めると、ゆっくりと扱き始めた。

「う・・っ。」
腰が蕩けそうなほどに、いい。思わず上げた呻き声に己を恥じる暇すら与えずに続いて濡れた感覚が鷹宗を包み込んだ。
「櫻・・それは・・。」
本来白拍子のやること。言いかけてその言葉が快楽に飲み込まれる。櫻の唇はやんわりと鷹宗を包むとゆっくりと扱き、その唇の中では舌が弄るように自身に絡みついていた。
「櫻・・ぁう・・・櫻・・だめだ・・・。」
いかな鷹宗が女たらしだろうと、そういうことをしてくれる女は滅多にはいない。あっという間に張り詰めた鷹宗自身が限界を向かえて涙を零す。それを知ってか知らずか櫻の舌の動きは更に巧妙さを増し、雁首に絡み付いては裏筋を舐めあげ、尿道に潜り込むようにしては強く吸い上げた。
「う・・・うあ・・っ!」
腰が抜けるかと思うほどの快感の後、鷹宗は櫻の口の中に熱い欲望を吐き出していた。それを戸惑うこともなく櫻も飲み下す。
「鷹宗様・・もっと・・もっと下さいまし・・。櫻に・・あなた様をもっと・・・。」
櫻のその懇願は直に頭に響いてくるようでもあった。その微妙な声の震えと蠢く指にまたぞろ欲望が頭をもたげる。
「櫻・・君のを私に・・・。」
鉛のように重い指先を伸ばして櫻の腰にそっと触れると、櫻が意図を察してか慎ましやかな秘裂が鷹宗の顔の前にくるように上に跨る。それは、かつて見たこともない美しさだった。
「桜・・綺麗だ・・。」
その言葉が合図のように再び櫻の舌が鷹宗に絡む。その動きに触発されるように閉じた処女地を指で押し開くと、ぐっしょりと濡れたそこを一息に吸いたてる。
ずずっ・・じゅるじゅるっ
「ふあ・・っ」
一瞬櫻の腰が浮き、背中が戦慄いた。その反応に調子付くように鷹宗は秘裂に舌を這わせ、溢れ出る液を舐め取り、その上に小さく息づく蕾を唇と舌で弄ぶ。数々の女を鳴かせた鷹宗の手管にもかかわらず、櫻は鷹宗への愛撫の手を緩めない。
く・・っまた・・・
顔を櫻の分泌物だらけにしながら思う間もなく、追い立てられた逸物から二度目の白濁が漏れた。
「くあ・・っ。」
目も眩むほどの快楽にのけぞる鷹宗の白濁を喉を鳴らして櫻が飲み下す。普段であれば男としての誇りをずたずたにされたと落ち込むところであろうが、今の鷹宗はそれすらも感じられないほど怪しい快楽に飲み込まれていた。櫻が嫣然と微笑む。
「鷹宗様・・私に貴方様を下さりませ・・。」
何の疑いもなく頷く。これから先の約束された快楽のために。胸を覆い尽くす激情のために。
「鷹宗様・・。」
櫻の黒髪がさらりと流れて鷹宗の宗に触れた。ちろちろと差し出された舌が汚れた鷹宗の顔を清めていく。
「愛しております・・鷹宗様・・。」
「櫻・・・愛しているよ・・。」
睦言はなぜか悲しく闇に響いた。櫻の火傷するのではないかと思うほど熱い蜜壷に鷹宗が押し付けられた。
「あ・・・あぁ・・・。」
櫻がゆっくりと腰をおろす。愛しげに鷹宗の顔を見つめたまま、殊更にゆっくりと、味わうように。やがて、ぷっつりと何かが途切れた音が生々しく響き、櫻の白い太腿を赤い筋が一筋・・二筋・・走っていく。
「ああ・・鷹宗様・・繋がりました・・・。私達・・・一つに・・。」
恍惚とした笑みを浮べて櫻が囁く。そこには微塵も苦痛を感じさせることはなく、ただ、快楽と幸福に彩られた笑みがあった。
「く・・櫻・・。」
一方の鷹宗はそれだけで持っていかれそうなほどの快楽を齎され・・・実際に入れた瞬間に射精をしてしまった。櫻の太腿の赤い筋に、どろりとした白濁が混じる。
「ああ・・鷹宗様を感じます・・鷹宗様・・。」
やがて、全てが収まった頃、一向に硬さを失わない鷹宗自身がぴくりと震えた。それこそ、無限に出来そうな気がしていた。同時に、我慢は非常に無駄で、愚かしいことのようにも感じられた。櫻が腰を動かし始める。先ほどまで乙女であったとは信じがたいほどに滑らかに、そして激しく。櫻があえかに仰け反る度、悩ましい吐息を漏らす度、鷹宗はそれこそ際限がなく射精し、櫻の中を満たした。櫻が満たされないことなど、到底気づきもせずに・・。
「鷹宗様・・・鷹宗様・・・」
狂おしい呼び声。それに惹かれるように手を伸ばして白い乳房を揉みしだく。小さな乳首を摘み、その感触を楽しみ、櫻の声に酔いしれた。
「愛してるよ・・。」
幾度繰り返されたかわからぬ睦言。どれほど過ぎたかわからぬ時の中不意に月が翳りを帯びた。
「あ・・鷹宗様・・鷹宗様・・・。」
唐突に櫻の声が切なさを帯びる。朦朧とした意識の中、何かに突き動かされるように鷹宗は櫻を突き上げた。
「櫻・・櫻・・櫻・・・・。」
ドスッ・・・・・・
不意に、時が止まった。櫻の白い胸に破魔矢が突き立つ。
ごぼっ・・・・
桜色の唇から吐き出された血の塊が鷹宗の胸を濡らした。
・・・鷹・・宗・・様・・・・・
「櫻っ!?」
身を起こして狂ったようにかき抱くと、櫻が血塗れの唇で微笑んだ。
鷹宗様は・・・私のもの・・・・
唐突に鷹宗を受け入れた櫻の襞が引き絞られるように締め上げ、溶けそうなほどの熱を帯びる。
「う・・ぁう・・・っ!」
最後の最後。鷹宗が吐き出した熱い欲望を感じたのか、櫻は儚げに微笑んだ。
ざあああっ・・・・!
一陣の風が吹き抜けた。儚くも甘い香りを含んで・・。
「鷹宗様!」
「お館様!」
声に振り返ると、自分の屋敷のほうから数人の守り人が走り寄るのが見えた。手には弓を携えている。そして・・・。
「こ・・これは・・・。」
裸の鷹宗の体には無数の桜の花弁。今しがたの出来事が夢幻ではないと物語るかのごとく、胸には紅い血痕がこびりついていた。
「お・・お館様・・・!?」
駆け寄った家臣が息を呑んだ。
「な・・・なんと・・・!?」
彼らの目の前で鷹宗はどんどんと年をとり、哀れにもしわがれた老人へと変貌を遂げていった・・・。

「ん・・・・。」
看病疲れか、うとうとと眠りかけて美萩は慌てて首を振った。交代で看病しているとは言え、余り眠れない日々が続いているのだ。
姫様の額の布を代えなければ・・・。
ぼんやりとしたまま身を起こし、横たわったままの櫻に目を移す。
「・・・ひいっ!?」
次の瞬間、美萩の目に映ったものに、思わず腰を抜かして悲鳴をあげる。
「あ・・あ・・・ひ・・・姫様・・・・だ・・・・誰か・・・!」
何時の間にか側には緋縅の小袖。髪はさほども乱れた様子もなく横たわる櫻の胸には深々と破魔矢が突き立っていた。口元から・・胸からどくどくと溢れ出た血は見る見るうちに櫻の夜着を濡らし、朱に染め上げていく。
「誰か・・誰か・・・!!」
這うようにして障子を開け放った美萩の目に映ったもの。
「これは・・・・・。」
満開の桜が、風もないのにひたすら散っていく姿であった。雪のように、静かに。ただ、涙を零すように・・・。
駆けつけた家のものが呆然と立ち尽くして桜を眺める美萩を抱きかかえ、寝所で事切れた櫻の無残な姿を確認した頃、静かに全ての花弁は地面に落ちた。その様は、まるで桜色の絨毯を敷き詰めたようでもあった・・・。

その後、宮廷で鷹宗の姿を見たものは誰一人としていない。噂では縁の寺でひっそりと息を引き取ったとか・・。だが、名もない老人の姿は見られても、鷹宗の凛々しい姿はどの寺でも見られなかったという。
一夜にして散った櫻は、その後葉をつけることなく、かといって枯れることもなく。ただ、それ以降咲く花はそれ以前よりも花弁が微妙に紅かったとか・・。櫻の遺体は丁重に桜の根元に葬られた。母親と二人、同じ木の懐に抱かれて眠ることになる。その死に顔は、これ以上もないほど悲しげな笑みを湛えていたと言う・・。

はらはらと・・はらはらと・・・
今宵も散る櫻
零す涙がごとく
苦しい胸の内
融かして・・・
熱を孕む・・・

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