クリムゾン レイヴ16

「『言霊たる英が最後に命ず!!彼女を縛め、清めを!!』」
まさに全身全霊をかけた叫びがその唇・・・いや、その体から迸り白い光の奔流となって駆け抜ける。それと同時に操に貫かれ、抜け殻となった体は白い光の粒子となってあっという間に溶けていこうとした。
「ちぃっ」
舌打ちして操が身を引こうとするが、光の奔流は確実に操に纏わりつき、その動きを封じ込めていく。
「この・・っ『解』!!」
逃れるための言霊も、己を縛るエネルギーの奔流の前には児戯に等しかった。柔らかい光が操の姿が見えなくなるほどに操を縛り、膝をつかせる。すると徐々に操の体から瘴気が黒い靄のようになって溢れ出していく。
「う・・あ・・・・がぁ・・・。」
瘴気が吐き出される苦痛の中で悶え苦しみながらも、操は不思議な暖かさに包まれていくのを感じていた。何故だか柔らかく、心地好い。
そして、光に包まれたまま操の意識は落ちた。

英の最後の言霊は、斎と由美子の耳にも届いていた。お互いの力が拮抗し、全くゆずる様子がない。斎の左腕はすでにもげようとしていたし、由美子の足元には広範囲にわたって血溜まりができていた。
「はぁ・・はぁ・・・・。」
「どう・・やら・・・・あちらは勝負あったようですわね・・。」
由美子の言葉に密かに歯軋りをする。いかに操が優れた葉霊だとしても、最後の言霊だけは振り払うのは容易ではない。しかも今は闇に捕らわれた身。己の本意として動いているのではないゆえ恐らくたやすく捕らわれてしまったのは目に見えていた。
操を回収に行かなければ・・。
そうは思うものの目の前の由美子はそうたやすく突破できるほど甘い敵ではなかった。早く行かなければ葉山に操が回収されるようなことになればたやすく葉霊に戻されてしまう。密かな焦りに捕らわれる一方で、斎の中に疑念が渦巻いていた。
何故傍流のはずの草木世がこんなに強い?しかもこやつ、言司ではないはずなのに・・。
そう。由美子は厳密に言司ではないはずだった。そして、巫女ですらないはずだった。
「私が強いのが不思議ですか?」
斎の顔色を読んだように由美子が僅かに微笑んだ。その微笑に歯軋りする。
「でも、あなた程度にてこずっているようでは・・まだまだ強いとは言えません。さあ・・・続きといきましょうか。私は、父の敵も取らねばならないのですから。」
「父・・?」
いぶかしむ斎に由美子が答えた。
「葉山泰山は間違いなく私の父です。」
ゆらりと由美子が体勢を整えた。その由美子に向かって斎が走る。
「なるほどな・・。『滅』!!」
「『滅』!!!」
波動の異なる同じ性質を持った言霊が激しくぶつかり合い、火花を散らす。凄まじいエネルギーの嵐の中、その余波を振り払うように斎が跳躍し、右手の刃を振り上げた。
「食らえ!!」
ガキッ
「・・・!?」
唐突に走りこんだ影が白く輝く刃を持って斎の闇の刃を防いだ。その人物の顔を見た由美子の顔が驚きに染まる。
「兄さん!?」
「ここは俺に任せて操の方に。萌葱が先に向かっているはずだ。」
斎から視線を外さないままに言う要に強く頷くと、由美子はその場から身を引いた。
「ではすみません・・。お願いします。」
無言のままに妹を背中で見送りながら要はにやりと口角を引き上げた。いつもは目立たない八重歯が牙の如く露わになる。
「貴様の相手は俺がしてやる・・。『戒』!!」
迸る光鞭をすんでのところで避けてゆらりと斎の姿が揺らいだ。
「・・・葉山の当主と今渡り合うほど命知らずじゃない。」
呟くように言うとちらりと屋敷の東側を見る。その視線には僅かに悔しさが滲んでいた。
「私もあっさりと逃がすほどお人よしではないつもりなんだがね。」
からかうように言う要にぎりと歯を食いしばり、斎は再び視線を投げた。
「この勝負、預けた。次は必ず決着をつける。」
言葉が終わるか終わらぬかの内。斎の姿は黒い靄の如くなって消え失せた。
斎が立っていたと思しき場所に視線をじっと向けたまま要がにやりと笑う。
「次は私の息子が必ず決着をつけるさ。」
出していた刃を収め、悠然と踵を返すと要はゆっくりと館の東側へと向かった。

傷だらけの体を引きずるように由美子が屋敷の東側へ向かうと、そこには漣の母の萌葱と自分の夫である草木世蔓(かずら)がいた。跪く萌葱の足元には蹲った少女の姿。
「由美子・・。」
傷だらけの由美子に気づいた蔓が慌てたように駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
心配げな夫の問いに気丈にも微笑んで頷くと、由美子は夫を見た。
「あなた・・京都の方は?」
「とりあえず葉山分家に任せてきた。君は早く中へ。急いで手当てをしないと。」
ちらりと視線を移すと、力尽きた少女を萌葱が抱えあげていた。その周囲を、煌く言霊の残り香が覆っているのが見えた。
「あなた・・・操ちゃんを運んであげて。姉さんだけじゃ大変だから・・。本家はどうなっているの?」
「わかった。じゃあ君は姉さんと中に。本家は麗子ちゃん達がいる。大丈夫だろう。」
「そう・・。」
操を抱えに行った夫と入れ替わりに傍にくる萌葱に軽く会釈をして由美子は共に屋敷に向かった。
「遙・・・。」
もう一つの事情を受け入れなければならない娘を思いやる。
女には酷な運命だこと・・・。
強大な力をもつとは、そういうことなのかもしれない。そうは思っても、由美子は娘が哀れで仕方なかった。

「漣・・・。」
「ん?」
腕枕に頬を寄せて、漣の手に優しく髪を撫でられながら遙は幸せな一時を噛み締めていた。これが永遠に続けばいいと。
「なんでもない・・。」
・・・虫がいいよね・・。
自分でも都合がいいと思わずにはいられない。だが、この先に戦いが待っているなど、遙にはまだ実感が持てなかった。
平凡で、平和な生活の中のほんのちょっとした非日常。それがほとんどの割合を占めて日常にいきなりなる事などまず考えられない。
だが、その静寂は破られることとなる。離れの外が騒がしくなったのだ。人が近づいてきた気配に二人とも慌しく服を着る、その身支度が終わったか終わらないかの内に離れの玄関が開き、操を抱えた要とそれに付き添った萌葱が入ってきた。
「・・・操!!??」
慌てて駆け寄ろうとする漣を制して要は中に入ると布団に操の体を横たえた。
ぐったりといまだかなりの瘴気に侵されて気を失っている操と、その周りに纏わりついている言霊の残骸に漣の顔色が変わる。一方の遙は、目の前の少女の状況に事情が飲み込めずに困惑の視線を要達に向けた。
「これは・・・一体・・・。」
事情の説明を求める漣に要が重い口を開いた。
「操は捕らえられて葉妖になり・・英と戦った。英はその命をもって操を解放しようとしたんだ。」
簡潔な説明。だが、漣にはそれだけで十分だった。震える手で操の頬に触れる。
「じゃあ・・・英は・・・・。」
「・・・・じいさんのところに行っただろうな。安心しろ。向こうでも仲良くやっているだろうさ。」
葉霊は『死』を迎えるとその存在自体がなくなってしまう。操がここにいると言うことは、少なからず操は生きていると言うことで、だが、漣はそれを素直には喜べなかった。
「俺が・・もっとしっかりしていたら・・。くそ・・っ!」
守れなかったことが悔やまれる。操も、英も。
目覚めたときの操の気持ちを慮って漣は奥歯を力いっぱい噛み締めた。
一方、漣の様子に少女とのただならぬ関係を推測した遙は、不安げに二人を見ていた。その遙に今度は萌葱が口を開く。
「遙ちゃん・・・ちょっと・・。」
不安げな表情の遙を伴い、萌葱は母屋のほうへと向かう。ゆっくりと歩く道すがら、萌葱は口を開いた。
「遙ちゃん・・。由美子さんから、葉霊のことは聞いたかしら?」
「・・・はい。言司に仕える意志をもった言霊だと・・。」
随分曖昧な表現だが、母からはそうとしか聞いていない。遙は次の萌葱の言葉を待った。
「じゃあ・・・言司と葉霊の関係を詳しくは・・・?」
「いいえ。」
素直に首を横に振る。あの少女は、漣の葉霊だと言うのだろうか。ただならぬ漣の顔色。そして少女にそっと触れる漣の手。
遙は自覚していた。
自分の内にある嫉妬と言う感情を。
「遙ちゃん・・・。巫女として、あなたに理解してもらわなきゃいけないの・・。今から話すことをよく聞いて。」
努めて淡々と話そうと萌葱は努力していた。これは、あくまでも必要な事務事項なのだから。その一方で納得できないであろう女の感情ももちろんわかってはいた。
遙ちゃん・・・。ごめんなさいね・・・。
心の内で謝る。そして、萌葱は語り始めた。

横たわる操を目の前にして要は静かに自分の息子を見た。
「わかっているとは思うが・・。まだ操の中にはかなりの瘴気が残されている。それを癒すのはお前の役目だ。」
それに対して漣は黙って頷いた。要の言わんとしていることはわかる。だから、次の言葉を待った。
「遙ちゃんには今、母さんが説明をしているだろうと思う。だが、本当に遙ちゃんを納得させられるのはお前しかいない。わかるな?そうでないと、遙ちゃんを真に巫女として受け入れることはできない。ただ肌を合わせただけではだめなんだ。私には幸いと言うか不幸にしてと言おうか葉霊がいない。だが、じいさんとばあさんは理解しあって実にうまく英と付き合っていた。お前にもできるはずだ。いや、できなきゃ勝てない。」
「・・・・わかった。」
ただ、重く頷く。巫女がいないのだと思っていたから、正直言ってこうなった時のことを漣は全く考えていなかった。だが、実際に自分には巫女がいて、しかもそれは遙である。
ずっと自分を思い続けてくれた遙。裏切りではない。そうは思うが、きっと納得はいかないだろうと思う。
だが、自分しかいないのだ。
重い決意を抱いて操を見ると、不意にその瞳が開いた。
「・・・操・・?」
声をかけると数度その瞼が瞬く。そして。
ヒュッ
「・・・っ!!??」
操の右腕から出た刃が漣の頬を掠めて紅い筋をつける。
「『縛!』」
「『避』」
要の言霊をするりとかわしてとんぼをうつと、ふわりと畳の上に操が降り立った。その唇が壮絶に微笑む。
「漣・・。会いたかった・・。」
赤い唇を赤い舌がぺろりと舐める。
その笑みを受けて漣はゆっくりと立ち上がった。
「父さん・・。手出しは無用で頼む。」
並々ならぬ決意。この決着は自分でつけるとその声が語っていた。
ここで手を出すのは親として野暮ってもんだな・・。
要は一歩下がって頷いた。
「わかった。決着をつけて出て来い。」
「ああ。」
振り向かない息子を今までよりも頼もしい思いで見やると、要は離れを後にした。

「そんな・・・。」
母屋の前で絶句して遙は俯いた。言司と葉霊の関係。初めて聞かされたその事実にどんな言葉も容易には出ては来ない。
正妻公認の愛人。
いわばそんな関係のように遙には思えた。
「そんなのって・・ひどい・・・。」
セックスとは愛情の延長にあり、独占の証。遙はそう考えていた。古いと言われるかもしれないが、ずっと漣だけを見てきたのである。それは無理からぬことだった。
「その・・葉霊を清めるのに・・あれ・・じゃないと・・だめなんですか・・?」
遙のいわんとすることを汲み取って萌葱が頷く。
「そうね・・。でも、それは愛情とは別のところにある行為だから・・。」
「愛してないのに・・できるんですか・・?」
遙の余りにも純粋な疑問に萌葱は苦笑を浮かべた。そうだと言うのはたやすい。けれど、それは遙には理解しがたいことだろう。答えなくても悟ってしまったのか、遙は頭を抱えた。
「わかんない・・・。」
ガタッ
離れから音がしたような気がして二人同時に振り向く。
「・・・・!?」
すると、程なくして要が離れから出てきてこちらに向かってくるのが見えた。
「おじさん・・?」
ガタッバキッ
その向こうで相変わらず何かがぶつかり合う音が響き、いまや巫女となった遙にははっきりわかるほどエネルギーが離れで渦巻いているのが見えた。
「あれ・・なに・・?」
胸が悪くなるほどの闇の気にそれを圧倒しそうな勢いにもかかわらずどこか精彩にかけた清らかな気。
「漣が操と戦っている。恐らく・・苦戦するだろう。」
「どういうことですか・・?操さんって、漣の葉霊じゃ・・?」
さっきの萌葱の話では、言司と葉霊はきっても切れない仲の筈。なのに、諍い?
「操は敵の言妖に捕らえられて責め苦の果てに闇に染められてしまったんだ。そうなると救う手段は殺すか清めるかしかない。漣は殺したくないがために苦戦を強いられるだろう。もちろん、今の状況で手を抜けば漣は危ない。」
要は淡々と説明した。余計なことも、そして遠慮して削ることもしない。後は、遙がどう判断するかだった。
「・・漣!」
迷いもなく遙は立ち上がった。自分が行って何ができるかはわからない。だが、もしも自分が漣のかけがえのない半身だとするなら・・。
信じたい。
その遙の手を要が捕らえる。
「待ちなさい。行ってどうする?漣が操を清めるのをその目で見るのかね?」
その言葉に、一瞬遙の動きが止まった。唇をぐいと噛み締め、離れをじっと見つめる。何を思い、そして何を決めたのか。
遙の唇が開いた。
「私と漣が、欠けることない半身同士なら、それがなんであろうと見たいんです。黙って苦しませてなんて置けない!同じ苦しむのなら、二人で苦しみます!」
思うことと現実は違うのかもしれない。
それでも。
今は全てを知って受け止めたかった。
許す、なんてそんなことは言いたくない。みないことで自分が不信感に捕らわれることこそが遙が最も恐れることだった。
遙の視線を受けて要はその手を外した。
「わかった。行きなさい。・・・息子を頼んだ。」
「はい!」
力強く頷くと、遙は離れに向かって駆け出した。その後姿に迷いはない。
要達が離れに消える遙を見送っていると、そこへ蔓が由美子を支えてやってきた。
「遙は・・・。」
尋ねる由美子に要は柔らかく微笑んだ。
「巫女になるための本当に儀式を受けに行ったよ。」
その答えに複雑そうな顔をする由美子にさらに要が言葉を繋いだ。
「大丈夫だ。遙ちゃんは死んだばあさんによく似ている。」
「血は繋がってないわよ、兄さん。」
苦笑しながら言う由美子に要はさらに微笑んだ。
「心意気が、だよ。」

前へ 次へ

このページのトップへ