クリムゾン レイヴ17

「く・・・。」
血の滴る片腕に漣は喉からくぐもったうめきを漏らした。
力の差は歴然としていた。漣の今の力は過去の比ではない。操のそれをはるかに凌駕していた。
にも拘らず。
操は傷一つなく漣を見て微笑んでいた。その手に紅の刃。ぬめりと光るその刃には漣の血がこびりついていた。
「漣・・。可哀想に・・痛そう・・。愛してるわ・・漣・・。愛してるの・・。」
愛しげに漣を見つめ、紅に染まった刃を紅い舌で舐め上げる。
わかっている。自分が甘いのだ。
傷つけるのが恐い。それぐらいなら自分が傷ついた方がましだ。
そう思う一方でそれではいけないこともわかっていた。
「操・・・。」
ゆらりと操の体から気が揺らいだ。一瞬の後、操は漣の目の前に立っていた。光る刃が目の前にひらめく。
「漣・・。愛してるの・・。だから、あたしの手で一緒に逝きましょう?」
漣の頭を一瞬よぎった思い。
俺は操を殺せない・・・。
が、それをさらに上回った閃き。
・・・・だが、遙を残してはいけない!!
「・・・く!」
操の細腕を漣が掴んだ。刃は喉もとに浅く傷をつけ、赤い筋を残す。
・・・助けなきゃだろ・・・!こいつを!
漣が決意を固めたとき、その人物は入ってきた。
「漣!!!」
「・・遙!?」
「!!??」
一瞬操の意識が勢いよく入ってきた遙に奪われる。
いまだ!
「『戒』!!」
紅い光鞭が閃き、操に絡みつく。
「ぁう!!『解』!!」
闇を纏った操の瘴気が鞭を解こうとしながらも及ばずに束縛される。
「く・・・く!!」
「『滅』」
身動き取れない操に歩み寄ると、言霊をもってその刃を無力化する。その漣の方を抜け、操の視線が真っ直ぐと遙を射た。
「漣の巫女ね?ふん、今ごろ気づいたくせにやることだけは間に合ったってわけ?」
毒のこもった操の言葉にひくりと遙の頬が動く。きゅっと唇を引き締めた後、ゆっくりと遙は操に歩み寄った。
「そうね。・・・泰山のおじい様は亡くなったけど・・間に合ったわ。」
静かに答える遙にさらに操は毒づいた。
「いい気なものね?今まで何にも知らなかったくせに。のうのうと草木世に守られたくせに今ごろになって漣の巫女だって大きな顔をするわけ?」
「操・・」
操を留めようとした漣を遙が留めた。言霊に縛られた操の真正面に遙が立った。その瞳は悲しげに、そして寂しげに操を見つめていた。
「あたしは・・あなたが羨ましい。あたしが知らない漣を、あなたは知ってるでしょう?漣の事情とか・・自分のこと・・。知らなかったからって言っても・・・きっと言い訳なのよね?」
「そうよ、世間知らずのお嬢さん。巫女だからってだけで、今までぬくぬくとのうのうと過ごしてきたあんたが漣に愛されてあたしは・・あたしは・・・!」
パン!
小気味いい音が部屋に響いた。
馬鹿にしたように頬を叩かれた操が笑う。
「ふん。所詮はそうやってでしか思い通りにできないなんて言霊が使えなさそうな娘が考えることよね。もっと殴ったらいいわ。あたしはあんたを殺してやる!そしたら漣はあたしのものよ!あたしだけの!!」
「『彼女を・・解いて。』」
「・・・・遙!!??」
「・・・・!!??」
今まで使ったことがない人間が発した、それはまちがいなく言霊だった。よろけるように操は開放され、遙を驚いたように見る。
その瞬間、操の唇がわずかに引きあがった。
「遙!!」
ザシュ・・・
「・・・あ・・・・!?」
漣が留めようとしたときにはすでに遅く。
「ふ・・ふふ・・・馬鹿ね・・。自ら獣を野に放つなんて・・・。」
操の手の刃は遙の腹部を貫いていた。その刃を遙は呆然と見下ろす。
「遙・・遙ぁ!!」
「来ない・・で・・・」
駆け寄ろうとする漣を遙の呟くような声が制する。急所は外しているものの刃は背中を突き抜けていた。血が、一筋、また一筋と畳を汚していく。
「なあに?一人でどうにかしようとでも言うの?」
含み笑いを纏いつかせ、操の刃はぐりぐりとひねられる。遙の唇が空気を求めるようにパクパクと開いた。
「ふふ・・何言ってんのか聞こえないわ?」
絶え絶えの息の中、遙は呟いた。
「『お願い・・・目を覚まして・・・漣を助けて・・・』」
清らかな言霊が、膨大な白い光を伴い、あっという間に操を包み込んだ。
「う・・うがう・・あ・・あああっ!!」
英が今際の際に迸らせた光とは全く異質で凄まじい威力のそれは、抗う間もなく操を包み込む。よろけるようにして遙から離れ、床に崩れる操はもはや光の影と化していた。その狭間腹溜め込んでいた瘴気が激しい勢いで操から噴出していく。
そして、支えを失った遙は崩れ落ちた。
「遙ぁ!!!」
血の糸を引きながら遙が漣の腕の中に崩れた。その息は細く、そして荒い。
「ば・・か・・なにやってんだよ!これからって時にお前が死んだら何にもなんねえだろうが!」
怒鳴る漣の頬を血にまみれた指がなで、青ざめた唇がそっと微笑んだ。
「・・・あたし・・叩いちゃったから・・フェアじゃないって思ったの・・。」
「だからって・・だからって・・・・くそ!『癒せ!』」
漣の手が光に包まれ、遙の体に消えていく。輝きが遙の体にまとわり付き、そして吸収して消えていく。
血は徐々にとまっていくものの、遙の体は確実に失血で冷たくなっていった。
「遙・・駄目だ・・遙・・・!!」
「漣・・・・手伝えなくて・・・ごめん・・・。」
遙の瞳から一筋の涙が流れ、そして畳に落ちた。
「遙ぁああああああっ!!!」
静寂が支配する部屋の中、漣の慟哭が響き渡った。そのとき。
「冗談じゃないわ。いやでも手伝ってもらうわよ。あたしだけにやらせようなんて、させないんだから。」
憔悴しきったような声が呟き、それに言霊が続いた。
「『癒せ』」
とっさに漣が振り向くと、乱れた髪をかきあげ、青ざめた顔で操が遙を見ていた。その瞳に涙が一粒。
「操・・・。」
「借りっ放しは嫌いなの。これくらいできなかったら葉霊が聞いて呆れるわよね。」
遙の出血が止まり、呼吸が整っていく一方で操の顔色は青ざめている。漣は瞬時にその状況を把握し、操の言霊に己の言霊を乗せた。
「『癒せ』」
二つの言霊は綺麗な調べを生み、相乗効果で遙の顔色が戻っていく。漣の腕の中で安らかな呼吸が戻った遙のもとに這うようにして操が近づき、その頬を軽く叩いて覚醒を促した。
「『起きなよ』」
操の言霊に遙の瞼が動いた。うっすらとその瞳が開き、ぼんやりと数回瞬く。その様子にほっとしたように操がわずかに微笑んだ。
「借りは・・返したからね・・・。」
「操・・・。」
漣に小さく「ごめん」そう呟いて、操はその場に倒れ伏した。
「み・・操!!??」
慌てる漣に背後から声が響いた。
「消耗しただけだ。人間でいえば気を失っただけだ。安心しろ。」
「親父・・。」
振り返ればそこには、要が立っていた。心配げな由美子を伴って。
「お前も手当てが必要だな・・。話はその後だ。」

「・・・くそっ!」
ダムッ
思い切りよくテーブルに拳をたたきつける音が静寂を破った。不機嫌そうな指がその後を追うようにとんとんとテーブルを叩く。
「・・・こうなった以上・・もう後はない。わかってるよね?斎。」
問われてその瞳がぎらりと光る。
「・・ふん・・。」
「とりあえず言妖と葉妖に残らず声かけといてよ。後は僕が動くからさ。全くせっかくの切り札を奪われてくるとは・・。僕が注ぎ込んだ瘴気が全く意味ないじゃんね?」
肩をすくめてソファを立つと、刹はいそいそと扉の向こうに消えていく。
その気配を背中で感じながら斎はぎり、と唇を噛んだ。
操・・・。
草木世が倒せなかったことより何より。ただそれが悔やまれた。
くそ・・っ!
ダムッ
再び拳がテーブルを叩く音だけが、部屋の静寂を犯していった。

「・・・あたし・・・。」
目覚めた操がうなだれたまま一同の前に座していた。
厳密に言って一連の行動は彼女自身の本意でない。犯された瘴気に奥底に眠る負の部分を揺さぶり起こされた結果の行動である。だから操に非はない。ないのだが。
「ごめんなさい。」
言葉のもつ本来の性質に縛られず、その意義により行動をすることができる操は、素直に頭を下げた。
普通に考えれば許されることではない。だが、もちろんそのまま漣の傍を去ることもできない。
「操・・お前が悪いわけじゃない。頭、上げろよ。」
漣の言葉に従って素直に頭を上げる。それが真実であり、真実の言葉には従うものだからだ。
「・・・。」
操が遙に視線を移すと、遙は無言のまま横たわっていた。その視線はじっと操を見つめている。負った傷が重傷だっただけにすぐに起き上がることは不可能だった。起きようとした遙を漣が押し留めたのだ。
「漣が・・好きなの・・?」
問い掛ける遙に素直に頷く。嘘偽りない気持ちだからだ。だが、その後嘯くのが操だった。
「でもさ、心配しないでよ。葉霊と言司の関係なんてさ、愛人みたいなもので・・愛情がない文それより性質悪いかも知んないけど・・ってフォローになってないな・・。とにかく、そんな心配するような関係じゃないから。」
軽い笑みすら浮かべる操に遙はゆっくりと首を振った。
「嘘・・つかなくていい。」
「嘘なんかじゃ・・。」
「わかるの。」
操の言葉をさえぎって張るかが漣を見た。
「漣・・・どっちをとるの・・?なんて言わない。きっと、あたしも操さんも・・漣のこと好きで・・漣の力になりたいってその目的は一緒だから・・。そして、漣には二人とも必要なことも・・わかってる。」
「遙・・。」
何とも言いようのない漣に困ったような笑みを浮かべて遙は操を見た。
「一時休戦にしましょ?喧嘩は、これが終わったらいくらでもできるよ、ね?」
「遙・・・。」
呆然と遙を見つめる操に遙は身を起こし、右手を差し出した。
「一緒に・・漣と、3人で、がんばろ。よろしく。」
「・・・・ありがと・・・。」
二人の手がつながったとき、柔らかく温かい気が二人の間で行き交うのが漣と要と由美子には見えた。彼らは理解した。
今、真の巫女が誕生したのだと。
その証拠に、遙の身から放たれる気は、すがすがしい優しさに満ちながらもその力強さを感じさせていた。

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