櫻〜蒼月抄〜(後編)

 裕也に理性があったなら、今の状況の異様さに気づけたはずだった。なぜ名乗ってもいないのに名前を知られているのか。なぜ、これほどまでに性技に長けているのか。なぜ、それほどまでに愛されているのか。なぜ・・・。
呆けたように体を洗われ、勝手知ったるように出してきたタオルで拭われながら、裕也は茫然自失していた。膣の中に2度放出した。それでも欲望は留まることを知らない。
「ごめ・・」
謝りかけた裕也の唇を櫻の白い指が塞いだ。緩やかに首を振ると、淡く微笑んで裕也の手を取る。誘われる先はベッド。心地よい疲労感と、異様な気だるさと、目の前の裸体の美しさ。それだけしか今の裕也には感じられなかった。どこかで、何かが警鐘を鳴らした気がした。だが、それを聞くだけの耳は今の裕也には存在しなかった。甘い香りが裕也の鼻腔を擽った。それでいて清廉な、柔らかく包み込むような・・・。組み敷いた櫻の艶髪を撫でながらなぜか裕也は呟いていた。
「愛してるよ・・。」
櫻がうっとりと微笑む。
嘘だ・・・。初めて抱く女に溺れているだけだ・・。
どこかで何かが囁いた気がした。それでも裕也は囁いた。
「愛してるよ・・・。」
櫻がその瞳をゆっくりと閉じた。その仕草に吸い寄せられるように唇を近づける。柔らかい唇が触れ合うのはそう難しいことではなかった。
「ふ・・ちゅ・・・。」
啄ばむように唇を吸い、濡れた暖かな舌を弄ってすり合わせる。柔らかい舌を吸い上げ、交じり合った唾液を啜りあう。麻薬のように、その心地よさは裕也に浸透して時を忘れるように唇を重ねた。実際、時は裕也の中に存在しなくなった。

「おい!望月!聞いてんのか?」
「・・え?」
ぼんやりとこちらを見る裕也に岩井茂は頭を抱えた。廃棄処分用の弁当に日付が新しいのが混ざっている。ここ数日、何かがおかしい。そしてそれはだんだん酷くなっていた。
「調子悪いんなら病院に行ったらどうだ?」
「いや、調子はすこぶるいい。」
そう答える裕也の顔はどこかやつれ、青ざめていた。お世辞にも調子がいいとはいえない。レジを打つのもぼんやりなんで、最近は商品を並べたり、掃除をするほうに回らせていた。もともとはこんな人間じゃない。大体において勤勉なほうだし、自分も何回か講義のノートを借りたことがあるようなタイプだ。だから、ある程度までのミスならかばえる限りかばうつもりだった。幸い自分たちが勤務の時間帯は店長もいない。よほどのことをやらかさない限りはかばい通せる。ずっと続くわけじゃないだろうし。だが、その思惑はなんとなく外れそうな気がしてならなかった。
「ていうかさ、この弁当さっききたばっかじゃんよ。捨ててどうする、え?」
ふざけ半分に言いながら裕也の頭を軽く小突くがあまり反応がない。」
おいおい・・大丈夫かよ・・。
昨日は無断欠勤をやらかした。見かねて電話をかけると、日付が変わっていることすらわかっていない感じだった。
一体こいつに何があったんだ・・?
ふと、すれ違った瞬間、なにやら甘い匂いを嗅いだ気がした。
まさか・・女・・?
のろのろと商品の前出しをする裕也を見ながら茂は頭を掻いた。
そうならそうといやあいいのにな・・。水くせえ・・。

深夜、裕也は家路を急いでいた。
櫻・・櫻・・・
頭の中にはもはや一つにことしかなかった。
櫻・・櫻・・櫻・・・・
階段を上る。キーを出すのももどかしく思いながら鍵を開ける。ドアを開く。
「櫻・・・!」
「お帰りなさい。」
靴を放り出すように脱ぎ捨て、鍵をかけると柔らかい笑みを浮べる少女を腕の中に抱きしめた。
「櫻・・会いたかった・・・。」
裕也の言葉に櫻が縋りつく。
「私も・・会いたかったです・・。」
はにかむように応える少女に愛しさが胸に突き上げる。隙間が憎い。そう言わんばかりに裕也は櫻に口付けた。
このまま一つに溶け合えてしまえたら・・。
願いながら舌をもぐりこませ、すり合わせて蹂躙する。
欲しい・・全て欲しい・・。
弄る手が息もつかせぬ口付けと並行して白いワンピースに手をかける。清楚なワンピースの上からすらわかるしなやかな身体。それを撫でまわし、堪能すると一息に脱がしてしまう。即座に晒される裸身。
「櫻・・・。」
口付けの合間の溜息。名前を呼び、呼ぶことを許さずにまた口付けた。全てを食らい尽くすほどに口付けると櫻が密かに震える。この瞬間もたまらなく好きだった。
櫻・・俺だけのものだ・・・俺だけの・・・
どこまでの蹂躙する独占欲に身を任すままに乳房を下から捏ね上げる。やや乱暴なほどに揉み回し、乳首を摘むと敏感にも固く立ち上がる。他の何も考える余裕はなかった。裕也は、櫻をそのままベッドに押し倒した。
「裕也さん・・・。」
首筋に食らいつく裕也の髪を桜が柔らかく撫でる。もどかしげに服を脱ぎ捨てると、今までの隙間を埋めるように抱きしめた。
「あぁ・・・。」
感極まった溜息が桜色の唇から零れる。零れ落ちたその吐息すら惜しむように唇を吸い、豊かな乳房をひたすら舐める。乳首を吸えばその柔らかな肌が僅かに粟立ち、固くこりこりと立ち上がる。まるでグミのような感触のそれを口に含んで吸い、ちろちろと舌で甚振ると甘く柔らかい吐息がもれる。どれだけ貪っても飽きるということがなかった。最初はバイトの時間なんかも気に出来ていたが、何時からか夜か昼かもわからなくなった。
溺れている・・・。
そう思わなくもない。だが、そんなことはとても小さいことのように感じた。今ある櫻と自分の空間。それが全てで、それがもっとも大事なことのように思えた。
「ぁん・・。」
櫻の細く白い腕が緩やかに裕也の頭を抱きしめる。
愛しい・・・。
ただ、ひたすらに愛しい。仰向けに寝転がった自分の顔を櫻がまたぐ。露になった慎ましやかな割れ目をそっと指で押し開くとその背中が震えた。あえてシックスナインにはならない。感じる櫻の顔を見て楽しむのだ。どれだけ精を放っても穢れることなく慎ましやかに閉じたその秘裂にそっと舌を這わせる。
「はん・・んふ・・・。」
曲げた人差し指を唇に当てるものの塞ごうとはしない。だから、くぐもった甘い悲鳴は余すところなく裕也の耳に届けられた。膣の入り口をなぞり、濡れた襞をざらついた舌でなぞる。溢れてくる蜜を啜りながらその上で固くしこった突起に舌を伸ばしてちろりと舐めると大きく裸体がうねった。
「はぁん・・・。」
ずっと抱きつづけた体。どこが感じるのかは手に取るようにわかる。膣に指を潜り込ませ、内壁を二本の指でかき乱すように擦りながらクリトリスを吸い上げる。唇で食み、軽く甘噛みをし、歯で挟み込んでちろちろと弄ると指が絞られるほどに締め付けられる。指でこれほどだからこの熱い欲望を突きこんだら・・。何度も突き入れているにもかかわらず妄想して欲望が熱く滾るのを感じる。
「櫻・・舐めて。」
少女が顔の上で向きを変えた。吐息がふわりとかかると、すぐにひんやりした感触が熱すぎるそれを握りこんだのがわかった。続いて濡れた柔らかいものが先端に押し付けられる。裕也は深い息を吐いた。
すぐ・・いきそうだ・・。
不意に濡れた感触が全体を覆い尽くすと、きゅうっと吸い上げながらそれを扱きあげるのを感じた。経験は櫻しかないが、掛け値なしにうまいと思う。先端を唇と舌で舐めまわし、しゃぶりながら根元は指で扱き上げる。たまに袋を触るのも忘れない。自分も負けじと舌を伸ばす。一人だけ気持ちよくなるには申し訳ないほど櫻の奉仕は心地よかった。
「ん・・んふぅ・・・。」
再び膣に指を入れ、かき回しながら今度は後ろの窄まりを舐めると櫻の唇から喘ぎがもれる。それでも奉仕がやむことはない。丁寧に皺を伸ばすように嘗め尽くし、ほんの少し舌を潜り込ませると櫻の背が戦慄いて指が動かなくなるほどに締め付けられる。僅かな苦味が舌に走るものの、それすら心地よくも甘い。舌で抉るようにそこを愛撫しながら合わせて指を動かすとぽたぽたと櫻の蜜が滴り落ちてくる。不意に櫻が奥まで裕也のものを咥えこみ、根元をぎゅっぎゅっと扱き上げながら激しく吸い上げた。
「う・・櫻・・・っ。」
我慢は何の意味もない。この数日で裕也はそれをよく知っていた。だからこそ、僅かなうめきをあげただけで己の欲望を櫻の口に解き放った。
「うぁ・・・。」
ごくりと嚥下する音。それを聞いただけで震えが走る。何の躊躇もなく裕也の精液を飲み込み、さらに残りまで吸い上げようと舌を絡める。腰が蕩けるほどの悦楽に、さらに追い討ちをかけられるように感じて裕也のそこはまたも熱くなる。こんなことをずっと繰り返していた。
「櫻・・・欲しいよ・・。」
裕也の呟きに、背中越しに頷いたのがわかったような気がした。裕也のペニスから唇を離して身を起こすと、今度は後ろ向きに跨ったまま裕也のものを飲み込んでいく。
溶ける・・・全部溶けてしまう・・。
飲み込まれたところからそんな感覚が広がる。だが、それはとても喜ばしいことにも思えた。
櫻とこのまま溶けてしまいたい・・一つになりたい・・櫻のものに・・・櫻の身に・・・
櫻の白い裸身が裕也の上で妖しくくねる。身を起こすと、その豊かな双球を掴み、揉みあげる。
「ああん・・裕也・・さん・・・。」
櫻の途切れがちな声。荒ぶる吐息。乱れる黒髪。滑らかな肌。
全てが狂わせた。そう、綴じられた空間の中で何かが、少しずつ狂っていった・・・。

「・・またかよ・・・。」
二日めの欠勤に茂は溜息をついた。出てきた日の翌日は休みで、茂は裕也と連絡を取ってはいない。昨日、今日で二日連続で勝手に休めばいくらなんでもかばいきれない。
「風邪って言っても後2日ぐらいが限界だぜ・・。」
電話をかけても出る気配は全くない。
「やばいなあ・・。まさかほんとに病気でぶっ倒れてるとかじゃないだろうなあ。」
いくらコールしても取られる気配のない電話に、明日もこなかったら家まで行ってみよう。茂はそう考えていた。

男の腕の中で白い裸身が踊っていた。
「あん・・は・・ぁあ・・・あふ・・・。」
ほのかに上気した肌はその名の通り桜色に染まっていた。男はどこまでも白いその肌に時折口付けて、桜の花弁が如き痕を残していく。
「櫻・・・櫻・・いいよ・・櫻・・。」
うわ言のように繰り返しながらその体を貪るように貫いていく。その瞳はどんよりと曇り、顔は病人がごとく青ざめていた。
「裕也さん・・愛してるの・・裕也さん・・。」
うわ言のように繰り返される睦言。吸われて赤くなった唇。もう、何度精を放ったかわからない。幾度夜と昼を交わしたかわからない。鳴り続ける電話も、玄関をノックする音も、何も耳には入らなかった。
「櫻・・櫻・・櫻・・」
ただ、その名を呼びつづける。女の切ない喘ぎ声と、男の唸るような呼び声が、ただ、ひたすら交わり続けた。膝が擦りつづける余りに血を滲ませても気づかない。その痛みさえ麻痺したような。なのに求める欲望だけは尽きることがなかった。
このまま溶けてしまえ・・このまま・・・。
終わりは唐突に訪れた。
「櫻・・いくよ・・櫻・・・。」
「ああん・・裕也さん・・裕也さぁん・・・っ。」
「櫻・・・っ!」
どくん・・・どくん・・・どくん・・・・
脈動は欲望が吐き出される音か・・それとも・・命の鼓動か・・・
「裕也・・さん・・・?」
少女が男に呼びかける。
どくん・・・・・どくん・・・・・どくん・・・・・・
『ああ・・・裕也さん・・・・』
少女の声はもはや音ではなく、思念。涙の湿りさえも広がるような、そんな、穏やかさで。
どくん・・・・・・・どくん・・・・・・・どくん・・・・・・・
『ああ・・・ああ・・・』
啜り泣きが静かに響き、桜の清冽で、それでいて陰鬱な香りが広がっていく。
どくん・・・・・・・・・・どくん・・・・・・・・・・どく・・・・・・・・・・・
『愛しただけなのに・・・・・私は・・・この人と触れ合いたかっただけなのに・・・・』

ドンドンドン・・・ドンドンドン・・・ピンポーン・・・
「おい!望月!?いないのか!?」
確か前が大家だったよな・・。
茂は事情を話して部屋の鍵をあけてもらうことにした。
マジで病気だったらしゃれになんねえからな・・・・。
「実家に帰ってるとかじゃあないんですか?」
怪訝そうな管理人のおばさんに「絶対それはないんで」と頼み込んでドアを開けてもらう。
「・・・うぐぅ・・・・。」
そこは・・異様な空間だった。来訪者をまず襲ったのは据えた性の匂い・・・清冽な花の香り・・・そして・・明らかに屍の匂い・・・。
強烈な吐き気を我慢しながら部屋に足を踏み入れる。
「・・望月・・・・?」
「それ」を目にした瞬間。茂はたまらずその場に吐いた。
「うぐぇ・・。」
一面の花弁に埋もれるようにして「それ」はあった。恐らく裕也であったろうと思われるもの。干からびてその面影はないが、唯一男の象徴が生々しく天を突いていた。
「け・・・警察・・・!」
後ろで腰を抜かしたように騒ぐおばさんの声をどこか遠くに聞きながら茂はなぜだかその干からびた死体が満足げな笑みを浮かべているような気がした。足元に散らばる花弁を手に取る。
「桜・・・・。」
真夏だというのに、なぜか茂はひんやりとした空気を感じていた。

はらはらと・・はらはらと・・・・
春を忘れた櫻が
今宵も散る
涙がごとく・・・
愛した男を想って
花弁を散らす・・・
風が渡る・・・・
僅かな湿り気を含んで・・・

『愛しただけなのに・・・』

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