クリムゾン レイヴ11

 息も白い冬の早朝。要は白砂を敷き詰めた中庭に立っていた。少し後ろには漣の母親であり、妻である萌葱(もえぎ)がいる。
「あなた・・やはり漣には・・・。」
心配げな面持ちで夫を見る萌葱を要は深い笑みとともに振り返る。
「心配かね?」
「それは・・・。」
俯く萌葱の側に歩み寄ると要はそっとその冷えた肩を抱き寄せる。母親の心配というのは父親のそれと違って細やかで深く、そして尽きないものである。それがわかる分、心配することそのものをとがめたりはしない。母として当たり前の心だからだ。漣によく似たその面差しを見ながら要はその笑みを深く緩ませる。
「あれの力は正直私もじいさんも未知数だ。だからこそ信じているんだよ。とてつもなく大きなことをやらかしてくれるのではなかろうかとね。だから私は何の心配もしてはいない。あれは自分の力で巫女を手に入れ、自分の力で右手を目覚めさせる。」
一旦言葉を切ると要は萌葱をそっと抱きしめた。
「大丈夫だ。私たちの息子を私たちが信じなくてどうする?」
「・・・はい。」
心配げにしながらも力強く頷くその瞳には優しい光がともっていた。温かく息子を見守ろうとする光が。

漣は仮死状態で出産され、言司としては不完全な状態でこの世に生を受けた。
言司が生まれながらにして備えるべきは二つ。
まずは言司の証であるとも言える両手の甲の六芒星。漣は右手が五芒星の状態で胎内から生まれ出た。六芒星が示すのは均衡と結界。五芒星が示すのは破邪。言の葉を操るものは力の均衡を重んじ、結界を張る力に長けていなければならない。片方が五芒星である漣は、左手に生まれる守りの盾も不安定で、右手に生まれるはずの剣が出てこない。かろうじて言霊を操るための光鞭(こうべん)はかなり高性能に使えるが、それでも言司の長として認められるには不十分である。
そしてもう一つ。次の言司を遺し、そして言司が言司として完成されるために必要なもの。それが、巫女の存在だった。言司は共に在るべき運命の巫女と必ず対になって生まれてくる。巫女は、必ず言司が持たない五芒星を胸に持って生まれてくるのだ。ところが漣には、巫女を輩出するどの家からも同じ年の生まれの女児が存在しなかったのだ。遙がいる草木世は言司としては傍流で、主に言司のバックボーンとして経済面などを支えるためなどに働く意味合いが強い。だから遙もああ見えてお嬢様だし、普通の少女である。そして、自分の家の事も一定年齢になるまでは教えられることがない。つまりそこから巫女は輩出されないのである。漣は、葉山始まって以来、単身で生まれた不完全な言司だった。
漣が常にグローブをその手にはめ、高校に入ると同時に家を飛び出したのには、本家である両親に対する気遣いと、他の一族からの揶揄を避けるためでもある。
漣にはずっと秘めた想いがあった。。
「一人であることの意味があるとするなら今すぐ俺にその答えをくれ。」
そして、その答えはいまだ得られてはいなかった。
「一人で言司であれというなら俺は絶対にただ一人きりの言司になってやる。」
そして、その思いのために今、漣は苦しんでいた。

「・・・京都って何年振りだっけ・・・。」
新幹線の外を眺めながらぼんやりと漣は呟いた。時刻は午前9時。もちろん学校は休んでいる。言司は誰も一様に幼いころは比叡山での修行を課せられる。そこで言霊の真髄を学び、扱うための能力を養っていくのである。己の身体に影響を及ぼす基本的な言霊が扱えるようになるまで通常5年を費やす。だが、漣は僅か3年で京都で学ぶべき全てを修め、東京に帰ってきた。不完全体であった漣がそこまでできたのは偏に努力の賜物である。にもかかわらず、言司が言妖と戦うために必要な能力については不安定なままであった。だが、ただ一度だけ漣が爆発的な力を発揮したことがある。修行場に突如現れた年を経た言妖を一撃のもとに消し炭に変えてしまったのだ。僅か5歳のときのことであった。漣は当時のことを覚えてはいない。だが、言妖に対して体術以外でダメージを及ぼしたのは後にも先にもそれ一度きりのことであった。
だが、今回目指すのは比叡山ではなく、嵯峨の縁の寺である。言司が会合をするとすればそこしかない。漣は新幹線から電車に乗り換えると嵐山方面に向かった。
湯豆腐買って帰ってやっかな・・。
嵐山の湯豆腐は遙の大の好物である。が、すぐに頭を振ってその考えを打ち消す。
遊びに来たわけじゃねえかんな。今度この件が片付いて、ゆっくりとしたときにすっか。
ぼんやりと漣が考えていると電車は嵐山に到着する。ここからは歩いて結界の中を抜けていかなければならない。結界都市京都は、様々な種の結界が複雑に絡み合い、様々な隠れ里に通じている。その隙間を見極め、正確にその場へと辿り着くのはある程度経験を経ていないと難しい。漣は、その一つ一つを正確に見極めながら路地を抜け、一見何もないように見えるビルの影から『道』を探り、寺へと向かう。言妙寺。地図には載っていないこの寺を知るものは、言司の一族だけであった。
寺に着くとその場にいる葉霊を捕まえてすぐに漣は泰山の所在を聞いた。顔役である泰山は奥の院にいることが多い。わかっていても尋ねるのは泰山が一所にじっとしているのが大の苦手なのを知っているせいである。だが、今日は大人しくしている気になったらしい。泰山は奥の院にいた。
「よう、じいさん。」
軽い口調で挨拶をし、障子を開くと白髪の長髪に白髭を蓄えた頑健そうな老人が部屋の中央に座していた。静かに腕組みをし、瞑目していたが孫の気配に瞳を開く。
「やっときおったか。遅いぞ。老人を待たせるものじゃない。いつお迎えがくるやもしれんというに。」
いかにも待ちくたびれた口調の老人の前にあぐらをかくと漣はにやっと笑って返した。
「じいさん見たらお迎えも泡食って帰るだろうさ。」
「相変わらず生意気よのう・・。」
髭を撫でながら泰山は満足げに笑う。それを見ながら漣は被っていたキャップを取った。
「俺が来る事がわかってたなら用件もわかってるんだろう?」
「この爺にわからんことはほんの少ししかないぞ?」
にやりと笑う泰山にずいっと顔を近づけて漣はふふんと鼻で笑った。
「ああ、そうかい。じゃあ、俺の質問の答えもわかってるんだろうな?」
「知らん。」
あっさりと返す泰山に思わず漣は畳に手をついてがっくりと項垂れた。
「んだよ・・。期待させてそれかよ・・。」
「大体期待もしておらんかったくせによう言うわい。」
からからと笑う泰山に恨めしげな視線を向けて漣はあぐらをかいて座りなおした。
「少しはしたよ。ほんのちょこっとな。」
「つれないのう。」
「つれなくないわ。ったく英に嘘つかせやがって。」
ぶつぶつというと泰山は嬉しげににやりと笑う。
「ほうほう。騙しおったか。それは帰ったらお仕置きじゃな。」
「・・・自分がやらせといて何言ってんだか・・。」
『お仕置き』の内容を知らない漣はただ英を哀れに思って一つ溜息をつく。だが、すぐにその表情を引き締めると、まっすぐに泰山に向き直った。
「じいさん。俺の右手は・・・。」
「大器晩成という言葉があるじゃろう?」
漣の言葉を遮るように泰山が言葉を紡いだ。漣は黙って老人の次の言葉を待つ。その姿勢ににっこり微笑んで頷くと泰山は髭を撫でながら言葉を繋いだ。
「漣。大いなる力は未熟なうちに振り回すと諸刃の剣となる。お前は自分が大いなる力を操るに足る力量を持っているといえるか?」
泰山の言葉に漣はしばし考える素振りを見せる。だが、当然その自信があるわけではない。ただ、今、その力を欲しているだけなのだ。
「欲するのは簡単だ。だが、得るにはたやすくない。なぜなら、その代償が大きいからだ。漣よ。たやすく得られる力であるならばそれは言妖が憎悪に捕らわれし者に与える仮の力と何ら変わりはしない。」
「・・俺の巫女は・・本当にいないのか?」
漣の問いかけに謎めいた笑みを浮べ、泰山はあぐらをかいて天井をちらりと見た。
「『巫女』とはなんだと思う?」
泰山の問いかけに漣は考えながら用心深く言葉を紡ぐ。自分の定義が巫女の存在意義を決め付けてしまう可能性もあるからだ。
「言司の対・・言司の母・・選ばれし4家から出る言司と同じ年に生まれた女児・・共に歩むもの・・言司を真に言司たらしめるもの・・。」
「それだけか?」
泰山の問いかけに漣は考える。だが、他に言葉が浮かばずに黙って頷いた。
「たわけ。それでは巫女が見つからんのも当然じゃな。」
からからと笑いながら言う老人の目はしかしながら真剣そのものであった。ぐいと漣に顔を近づけ、囁くように泰山は言った。
「なぜ、お前の父と母は結ばれ、お前が産まれたのか?それがわからぬうちはまだまだじゃな。漣よ。お前の巫女が『後から出会うさだめ』とするならその巫女を見つけるのも『お前のさだめ』じゃ。」
「いるのなら必ず見つける。」
力強く頷く漣に老人はさらに言葉を繋いだ。
「言霊とは本来自由なものだ。縛られる必要はない。漣。言霊は『使う』ものではない。『己の内にあるもの』だ。いいな?」
老人の言葉にわからないながらも頷く。だが、そのことを承知しているのか、老人は穏やかに微笑むだけであった。
老人の笑みに用事は済んだとばかりに漣は立ち上がる。
「じゃあ、じいさん。よくわからんが、さんきゅ。気をつけて東京に帰って来いよ。」
「かっかっか。何かあったときはそれがお迎えじゃ。諦めて出向くわい。」
頼もしい老人の笑い声をその背に聞きながら漣は寺を後にした。
様々な結界が交じり合う世界。その中でほんの僅かな瘴気に気づくことは、さしもの漣にも不可能であった。
そして、寺に一人残った老人は打って変わって無表情に瞑目する。
「・・おるかおらんかわからんものを探せとは・・わしも言司失格かのう・・・。じゃが・・・・『おる』と思えば『おる』。それがわしらじゃ・・。」
その言葉は、確固たる信念に満ちた言霊となってその空間を支配した。

「あたし・・綺麗・・?」
それはどこかの教室。少女の問いに少年はくすりと笑った。
「もちろん綺麗だよ。」
「痲桐君・・嬉しい・・・。」
ふわりと浮かぶ少女の笑みにそのにきびだらけの頬に触れながら秀隆はうっすらと剃刀のような笑みを浮べた。
「だけど、僕だけがわかってもだめだろう?他の連中にも教えてあげないとね。」
秀隆の言葉を受けてくすくすと少女が笑う。
「そうよね・・本当の事を教えてあげないと・・・。」
「そう・・本当のことをね。」
くつりと笑う少年の首に少女の太目の腕が絡まる。
「痲桐君、ありがとう。本当のあたしを教えてくれて。」
そのちょっと太いウェストに腕を回しながら秀隆は微笑んだ。
「どういたしまして・・。でも、僕が教えたなんて言っちゃだめだよ?嫉妬で酷い目にあっちゃう。」
「わかってるわ。」
くすくすと笑う赤い唇。さながらそれは、妖女が血を啜ったかのような妖しさを湛えていた。
秀隆に促されて少女は歩き出した。哀れな獲物がいる場所へ。自分の真の姿を知らしめるため。それが、死出の旅路とは到底知ることもなく・・。

放課後の補習がないということは素晴らしいことである。高松達不良グループはこれ幸いとばかりにゲームセンターにふけこんでいた。例の事件のせいで教師達の見回りもない。もしかしたら補導員が通りかかるかもしれないが、そんなのは関係なしにタバコを吹かし、ゲームに興じていた。だが、軍資金も無限ではない。いつもより早めに興じていた分、いつもより早く軍資金も底を尽きた。
「・・どうする?」
自分の顔を見る仲間に高松はにやりと笑った。
「そんなもん決まってんじゃん。たかろうぜ。」
立ち上がると、そのまま二人の仲間を連れてゲームセンターを出てあたりを見回した。
「どっかにカモになりそうなのいねえか探そうぜ。早い時間だしさ、意外と金持ってんのがいるかも知れねえし。」
そのまま辺りをさりげなく見ながら歩いていくと仲間の一人が声を上げた。
「あ・・。」
「なんだ?」
仲間の指差すほうを見ると水川瑞江が通りを歩いていた。高松達は「デブ川デブ江」と呼んでいじめている、いわゆるいじめられっこだった。あだ名の通り体格がよく、その上暗い。おとなしく、ろくに言い返すこともできないので格好の的となっているのだ。
「へえ・・・。」
にやりと笑うと高松は仲間達に顎をしゃくった。そのままずらずらと歩み寄ると、瑞江の行く先に立ちふさがる。
「よう。デブ川。いいとこに会ったな。」
「高松君・・。」
いつものように怯えたような目で自分を見る瑞江の腕を掴むと、高松は人通りの少ない路地へと彼女を引きずっていった。
「な・・何・・・?」
怯える瑞江を壁に押し付けると壁に手をついて逃げられないように取り囲む。もっとも、逃げたところですぐに追いつけるが。
「なあ、俺達困ってんだ。助けてくんねえ?」
「・・・何・・?」
「金、貸してくんねえかな?」
「お金・・なんて持ってない・・。」
怯えたように言う瑞江の頭の脇の壁を拳でダンと打つと、びくんと震えた。
「嘘つけよ。そう言ってこの間も3万も持ってたじゃんか。」
「あれは・・・。」
「うるせえよ、デブのくせに。お前みたいなブスはどうせセックスする男もいないんだろうから黙って金でも出してりゃいいんだよ。」
瑞江の反論を遮って滅茶苦茶な論理で詰め寄る。先だっても無理やり瑞江の財布から3万抜いてそのまま当然返してはいない。
どうせこいつは何もできない。
そう思い込んでいる高松の目には昏く光る瑞江の目が移らなかった。だが、視線の端に妖しい視線が映る。
「デブ・・ブス・・?」
「ああ?」
瑞江の呟きに大きな声を上げてわざとらしく耳を傾ける。
「そうだろうがよ。なんか違うってのか?」
「あたしの本当の姿も知らないくせに・・。」
「あん?お前、何言ってんの?もしかして、やばい?」
自分の頭をつついて頭、大丈夫?というようなジェスチャーをしながら高松は瑞江の顔を覗き込んだ。その瑞江の唇が妖しい笑みをかたちどり、一瞬高松は我が目を疑う。
「・・え・・?」
目の前の瑞江が、一瞬とんでもない美女に見えたのである。他の二人も同様らしく、目を擦っているものまでいた。
まさか・・・。
「あたしの本当の姿、見せてあげる。」
そういう瑞江のにきびだらけの顔に、白い肌の美女の顔が重なった。
「・・え?」
瑞江と、その美女は同時に笑い、同じ声で言った。
「『来て・・あたしの美しい姿、見せてあげる・・・。』」
途端に3人の瞳が色を失った。そのまま、操られるように高松達は通りをよろよろと歩いていった。

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